波動が高いとか低いとか言うと
なんだか高級だとか低級だとか
そんな話になりそうじゃない?
本当は優劣が存在しない世界で
優劣を決めるジャッジメントをすると
波動が一気に重くなる
とても物質的になるのだ。
願いを叶える為でも
幸せになる為でも
理由は人それぞれなんでもいい。
だけど波動を高めたいと思うなら、
『高める』よりも『軽く』
の方がもしかしたら取り組みやすいかもしれない。
『高める』って意識すると、なんだか善良にならなきゃいけないような・・・勝手なイメージだけど。
『高める』為にヨガをして、『高める』為に菜食をして、『高める』為にウンタラカンタラまた色々縛られる。
縛られるって、重いよね。
でも善良じゃ無いものを善良にしようとしたって、トマトをメロンに無理やりするようで、中々難しい。
だけど『軽く』って思うと自然と波動が高い思考になる。だから自然と波動の高い行動ができる。
波動が高いって、やっぱり愛に近づくから、きっと変な事はやらかさない。
結局『軽い』のが1番、楽〜に願いが叶う。引き寄せられる。
軽くて良いじゃん。
真面目にやったってさ。努力したってさ。
努力したらそこで幸せ終了ですよって安西先生も言ってたし。言ってない?
努力が悪いんじゃ無いけど、あんまり疲れる事やり続けるのもどうかと思うよね。
軽いときっと、色々叶う。
色々わかる。
色々楽になる。